熊谷

 筆者は高校生時代の3年間(1964年4月〜1967年3月)、秩父から電車で熊谷まで通った。授業が終わればいつもすぐに帰宅するというわけではないが、本屋によるくらいで、街中でふらふらとするわけでもなく、これといった想い出があるわけではない。しかし、自分にとっては記憶の中で大きく占める街ではある。


 卒業してからは通り過ぎる街であったが、最近は同窓会や恩師との会食で行ったりするようになった。
 そして、父及び父方の祖父母と母方の祖父の出生地が熊谷市に編入されたこともあり、なんとなく身近に感じられるようになった。

2019年3月17日

 古稀を祝う高校同期の同窓会が星川沿いの「清の家」という日本料理店で開催された。同窓会もこれが最後になるかも知れないと思い、出かけた。10クラスあったのだが、各クラスとも4、5人は亡くなっていた。消息の分からない人もいるから、実際はもっと多いかも知れない。先生方も7人がお亡くなりになり、ご存命の3人の内、出席したのは我がクラスの恩師のみであった。
(閑話休題)
 開会の時間まで余裕があったので、駅からぶらぶらと写真を撮りながら行った。もっとも、そんなに大きな街でもなく、駅から比較的近い場所だったので、思うほど撮る場所はなかった。
 駅前には、街の象徴である熊谷直実とラグビーボールの鋳造品が目をひく。星川沿いを歩いて行ったのだが、昔に比べて水も綺麗になったが、周りも整備されていた。星川といえば、終戦の日、前夜の大空襲でお亡くなりになった多くの人が浮かんでいた、という話を母からも父からも聞いたことがあった。もっとも、母も父も熊谷にいて、実際にその光景を見たわけではないのだろうが。そのくらい、有名な話であったのだろう。ポツダム宣言を受諾した夜に空襲するとは、酷い話である。その慰霊碑も川沿いに建立されていた。
 川沿いには円照寺なる見た目派手なお寺があった。ネットで調べると、天台宗の古いお寺らしい。熊谷のお寺といえば、熊谷寺(ゆうこくじ)が有名である。
 二時間半くらい飲み食いし、校歌を歌って閉会した。そして、当時、帰宅時に良く乗車した秩父鉄道上熊谷駅から乗って帰宅した。

2019年5月20日

     3月に古稀を祝う高校同期の同窓会が熊谷であった。その際に、K君が来れば恩師と3人で談話できたのだが、彼が地元の自治会の会長をしていて忙しくて欠席した。そこで、5月にあらためて3人で会食した。卒業して50年近く経っており、また上に書いたように特別な想い出がある場所もないので、駅のあたりだけ撮ってみた。今年、熊谷ではラグビーW杯の試合が開催される。そのための補助金も出たのだろう。あちこちが綺麗になり、そして市民は盛り上がっているらしい。
 K君に言われて気がついたのだが、駅下にある昔の鳥瞰図に旧制学校制度時代の我が母校(旧制中学)が描かれていた。隣には農学校、商業学校が並んでいた。